【飲食店売上アップ講座】はじめのご挨拶

「シェフ!ボントレ僕がやってみたいです!」  

 

2019年10月ごろに、以前からお店を引きつぐ

事を話していた店長からの一言です。

 

スタッフにお店を引き継げることは、

飲食店を経営する目的でしたので、

この言葉は心から嬉しかったです。

 

しかもこれは2店舗目。

 

どちらの店舗もこの記事を書いている2020年10月

前年を超える成果を出しています。

 

私はコロナを期に 昔からしたかったコンサル事業を立ち上げ、

 

「日本中の個人店を元気にする」

 

を目標にファン集客コンサルタントとして

活動をしております。

 

まずは私の波乱万丈な飲食店経営の歴史を

見て頂き、 経営者として私がいかに

普通以下の状態から、

ここまで来れたかをご覧ください。

そこには必ず経営のヒントとなることが

隠されています。 それではどうぞ!

  _____________________________

修業時代から1店舗目オープンの道のり

 

改めましてボントレの倉島 秀典です。

出身は茨城県牛久市で、

洋食屋の息子として育てられました。

 

「俺高校行かないで料理人になりたい!」

 

  という私に 

 

「高校は出ておきなさい!!」

 

  と一喝され、ひとまず高校は卒業しました。

 

その後専門学校に行き、

そのまま都内で就職という

料理人の王道みたいな道を進みました。

 

初めての修業は都内の修業先は

バンセーヌという渋谷のフレンチ、

次に 北島亭という四谷のフレンチ、 です。 

 

「お前仕入れ過ぎだぞ!」

「もたもたするな!倉島!」

「こんなもん出せるか!」

 

 料理人の修業は大変だということは

父からさんざん聞いていましたが、

職人の世界は超絶厳しく、

16時間~18時間の労働で毎日

くたくたになっていました。

 

 最初のお店ではホールを担当していたので、

ホールの掃除を早めに終わらし、

そこから先輩の仕事を手伝い料理の勉強、

営業になると再びホールで接客という感じで、

あっという間に1日が過ぎていきました。

 

好きな事やるって大切

今思えば好きな事を仕事に出来るのって

本当にありがたいことです。

この時の給料は忘れもしない手取りで105000円。

 

残業代が付くわけでもなければ、

ボーナスがあるわけでもありません。

休みは週1でしたが、

そもそもそれが当たり前と思っていましたから、

全く気にもなりませんでした。

 

このころまだブラック企業なんて言葉すらなかったし、

いくらでも学ぶことが出来たんですね。

もし自分の好きな事じゃなかったとしたら・・・・

 

この若い頃のスタートで、

メンタルが相当鍛えられましたね。

 

 

パリでの修行時代

その後フランスに渡り、

「ボナキュイユ」

「ルーレ・ルイ・トレーズ」

「ルーレ・ド・トゥイユ」

1年半で、この3件を回りました。

 

「外に鶏つるされてない?」

 

フランスでは街中で、

屋台のように食材を売っています。

 

「うわ!牛タン丸ごとじゃん!」

「イノシシが撃たれたまま売ってるΣ(・□・;)」

「フレンチって全然かしこまってないんだ~」

 

とすべての体験が初めてだらけで、

刺激的なパリでの生活でした。

 

そしてこの時であったのが最初の妻です。

 

最初の・・・・

 

実家で初めて料理長

帰国後独立の資金調達の為、

新宿のパークハイアットホテルの

キッチンでアルバイト。

 

その後実家に帰り、

初の料理長を経験させてもらいます。

父の料理を覚えながら、

そこに自分で学んできた料理をどんどんやっていく。

 

「ヒデ!それ焼きすぎ!」

「そのパン粉の付け方はもっとこうしたほうが良い」

 

と親父の教えもいっぱい受けながら、

独立の思いを膨らませていきました。

 

この時初めて日本の市場に足を踏み入れる

ことを体験し、自分で魚を仕入れるところ

からメニューを考えるのも初めて。

 

自分が思い描く料理がどんどん

作れるってめっちゃ楽しいですよね!

 

今までのお店は厨房が中にありましたが、

実家はカウンター席です。

お客様のリアクションも丸見えで、

自分の評価がダイレクトに

伝わてくるわけですから、緊張の連続。

 

でもドMの僕は最高のモチベーションで

仕事が出来る環境だったんです。

その場で作ってその場で評価される

業種ってなかなか無いですからね。

 

ついに独立!ここから苦悩の日々の始まり。

 

忘れもしない始めてのお客様。

 

「いらっしゃいませ~!」

 

と元気は出したものの、

料理を出すとき手が震えたのも

はっきりと覚えてます。

 

ここまで来るのに7年修業してきて、

料理長までやってきたのに、

生まれたての小鹿のごとくプルプルでした。

 

 

やっぱ自分の店となると緊張感が違う!

うわ~これが今後何年も続くのか!

 

正直これが一発目の感想です。

 

ず~っと独立を目標に頑張ってきたのに

いざ始まってみると、

めちゃくちゃビビってる自分と対面しちゃいました。

 

情けな・・・

 

独立当初はうまく行く気しかしてませんでした。

東京、フランスで修業した自身もあったし、

実際に食べ歩いてみて、

 

「これなら勝てる!」

 

と確信もありましたから。

働いてきたお店は、日本では超が付くほど有名店。

フランスでは一つ星、二つ星の有名店。

 

こんな感じの経験だったので、

福山で独立すにあたり、

技術面での不安は一切ありません。

 

ただここではまだ、「集客」や「マーケティング」

なんて言葉とは無縁です。

 

ザ!職人でしたからね。

修業先のどの店でも、

集客の為のツールなんて見たことありませんし、

スタッフ教育もしたことがありません。

料理以外は、ないないずくしのスタートです。

 

「味が美味しければお客様は来る」

 

今から考えれば、化石のような考え方で

独立してしまったんですね。

これが後々響いてくるとは、

この時の僕は知る由もありませんでした。

 

 

そんな状態でしたので、

独立して直ぐに流行ることはありません。

困るほどではありませんでしたが、

じわじわとしかお客様が増えず。

オープン当初は行列をイメージしていましたから、

そのギャップに苦しんでいました。

 

このまま終わってくんかな~・・・・

なんて不安もちょくちょく頭をよぎる悶々とした日々。

でもここで独立してから半年、奇跡が起こったんです。

 

「それが初のテレビ出演!」

 

一気に知名度が爆発!

オープンして一瞬で席が埋まり、

15時を過ぎてから、やっと列が途切れる毎日。

 

夜は日をまたいで仕事をし、朝は6時から仕事。

 

しかし

 

そこから3ヶ月ほど経つと、

徐々に落ち着いていきましたが、

そこで常連さんが多く付き、

そこそこのお店までには成長できました。

 

しかしそこからさらに1年が過ぎると、

以前よりも明らかに客足は少なくなり、

現状維持みたいな状態が続きます。

 

オープンして2年目の事でした。

3年が経ち、

このまま年取っていくのか~と一瞬思いましたが、

 

「いや!そんな思いは嫌だ! よし! 拡大移転だ!!!」

 

と舵を取り、オープン3年半で貯金を使い切り、

20席のお店から、

一気に3倍の60席のお店に拡大移転したのです。

 

 

20席から60席に拡大移転

本当に勢いだけです。

ここでもまたザ!

職人の魂だけで突き進む日々が続きます。

移転先でも初めは順調でした。

前の知名度もあったので、

今回は早い段階で繁盛店にはなります。

 

しかし、1年半を過ぎたころから

いまいち伸びがなくなり、

2年半を過ぎると緩やかに

客数が減り始めたのです。

 

このころにはすでに社員3名、

アルバイト10名抱えていたので、

 

「このままじゃヤバイ!」

 

と思い、またまた職人魂で突っ走ります。

 

「いい加減気が付けよ!」

 

って思いますよね。

この時の対策は、メニューを増やし、

提供時間を早め、サービス向上を促進し、

とにかくクオリティーを徹底させたのです。

 

それこそ休みなく働き、スタッフを叱咤激励し、

些細なことも見逃さず神経を張り巡らせ、

 

さあ!売り上げは!? 維持でした・・・

 

今考えればそりゃそうです。

オペレーションは複雑化し、

営業中はピリピリしっぱなしの僕。

当たり前のようにうまく行きません。

 

そして当時の僕は更なる迷宮に

入り込んでいったのです。

悪いことにこのころからスタッフが

辞め始めます。

 

社員スタッフとケンカして、

 

「やってられません」

 

とその日に帰られたこともありました。

でもその時は自分の正しさしか

見えてないんですよね。

俺は一生懸命やっている!

確かに実際やってはいたのですが、

人から受け入れられるやり方ではなく、

 

「俺だけが頑張っているんだ」状態。

 

スタッフが付いてくるはずありません。

更に更にスタッフ全員から陰口、悪口を言われ、

それを他の店のブログの記事で知る

という最悪の思いをしました。

 

こんなに頑張ってるのに・・・

こんなにみんなの給料アップするために

休みもなく働いてるのに・・・

 

全然上手くいかない

 

追い打ちをかけるよに、大事件が起こります。

この時、私生活も一緒、

店でも一緒に働いていることもあり、

もともと気の強い妻と、

頑固な僕との状況は最悪です。

 

仕事しかしない僕にいら立つ妻。

仕事観の違いや、価値観の違いで、

休みの日までケンカし、口を利かなくなるなんて

事がざらに起きるようになります。

息子の前で口論になることもしばしばでした。

 

 

当時僕は妻の実家にます男さん

状態だったので、

僕が家を出る形で離婚を決意したのです。

 

「俺なんのために頑張ってるんだろう?」

 

このことをきっかけに、

そんな思いが頭をぐるぐる駆け回ります。

 

 

スタッフからは陰口言われ、

だれも幸せに出来ず、一体何やってるんだろう?

何度も店を辞めようと思いましたし、

逃げたい気持ちにもなりました。

 

「でも自分にも、周りにも負けたくない!」

 

そこで何が足りないんだろう?と必死に考えて

「集客」を勉強し始めたのです。

 

初広告で大反響!

初めての広告表

ここで初の広告を自分で作ります。

スタッフの集合写真と、

料理の写真が載った初の広告。

当時効果測定などもしてませんでしたが、

確実に手ごたえがありました。

 

やった!なんだ!こんなことなの?

今までの苦労が嘘のようです。

そしてこの時同時に始めたのが

ニュースレターです。

 

これも初めてすぐに反応がありました。

 

「そうか!こういうことだったんだ!」

 

疑問が確信に変わった瞬間です。

ここからマーケティングを学び、

職人×ファンを付ける集客の力で、

 

売り上げ、客数共に最高を更新。

もともと商品力があったこともあり、

福山で一番流行っている洋食屋の確立です。

 

「よっしゃー!!!」

 

更に同時に自己啓発の本も読み始め、

スタッフとの関係も改善。

再婚はしなかったものの、

元妻はビジネスパートナーとして復帰。

 

そして絵にかいたように引き寄せた2回目のテレビ出演。

 

「大爆発です!」

 

今度は60席のお店が、

オープンと同時に埋まるという現象が続きました。

 

 

「ああ!やっと暗いトンネルから抜け出せた。

これでやっと前に進める!」

 

 

この時がやっと光が見え、

自分の努力が報われたのです。

 

「やっててよかった!」

「あきらめないで良かった!」

 

その後2店舗、3店舗、4店舗と

順調に出店していく中で、

2店舗目の一番利益率の高い店舗を、

元妻に売却。

 

この時彼女の手取りは100万を超えていました。

完全週休2日でです。

田舎の飲食店オーナーではあまりない

事例でしょう。

 

喫茶店という業態だけに、

仕事が終わるのは17時。

 

スタッフも優秀だったので、

自分の時間も持てています。

 

「やっと自分のビジネスで恩返しが出来る!」

 

初の事例の誕生に、心が躍ったのを覚えています。

僕は自分のビジネスを独り占め

する事は全く考えておらず、

 

流行ったら売却をすることを

当初から考えていました。

もちろん売却後のロイアリティーは

一切ありません。

 

「自分が関わった人に幸せになってもらいたい。」

 

そんな想いからです。

飲食店は独立したい人がとても多い業種です。

しかし実際はリスクも非常に多く、

9割は独立せず、独立したとしても、

3年も持たずに閉店する何てことざらにおきます。

 

だから僕はそこに貢献したかった。

少しでもリスクを少なく

これまで一緒に働いてきた仲間に

独立をさせてあげたかったんですね。

 

だったら、利益がわかってる店舗を譲って

あげればいい。それが僕と一緒に

働いてくれた恩返しだと思っているし、

うまく行っている姿を見るのが、

僕の喜びでした。

 

店長って奴隷のように使われる事が多いのですが、

僕はそうはしたくなかった。

生涯の仲間として歩みたかったんです。

 

そして創業したビストロボントレも

2019年10月の約束通り、

2020年7月に店長が買い取り、

新しいオーナーの元で、

新たな歴史を作っていく運びとなっています。

 

2020年2月コロナ問題勃発。

順調に行っていたさなか、

コロナが蔓延し始めます。

2020年3月までは他人事。

 

「地方だし、そこまで影響ないでしょ」

 

くらいに軽く考えてました。4月突入。

 

「マジでやばい・・・!」

 

同時に再び地獄への突入です・・・・

 

一気に売り上げ7割ダウン。

各店の売る上げをネットで

見ることが出来るのですが、

あの時はポスレジに異常があるのかと、

電話したほどでした。

 

しかし残念なことに、ポスレジから見える数字は、

会社の現状そのもの。

僕はこれまで4店舗お店を作ってきました。

●60席の洋食屋 (ビストロボントレ) 洋食屋さん部門で福山1の集客

●120席の喫茶店 (ボントレ珈琲店) →個人の喫茶店で、福山1の集客

●160席のカフェ→コロナの影響にて閉店

(ボントレコーヒ―ホノルルベース)

→西日本最大級の規模 敷地面積500坪、店舗面積200坪

●54席の焼肉店→コロナの影響にて閉店 (焼肉まるじゅう)

→オープン3カ月で利益100万。

 

「ウオーマジかーーー!」

 

経営はすこぶる順調に行っていたのですが、

コロナウイルス という大きな壁にぶち当たり、

一気に谷に落ちた感じです。

 

西日本でも最大級カフェホノルルベースが

コロナ直撃で大ダメージを受け閉店。

 

坪数が凄かっただけに、家賃や諸経費が半端じゃなく、

予想を上回る売り上げの減少は、

もはやテイクアウトで補うことは

できない状況だったんです。

 

 

毎月この店舗だけで300万ほどの

お金が消えて行き、早い判断が必要でした。

 

この時期、4月だけで700万ほど一気に資金が減り、

 

その後毎月300万ほどの赤字。

借り入れ返済を含めると350万ほどが

毎月飛んでいきます。

 

国からもらえた200万は1ヶ月分の

運転資金にも届きません。

 

会社の口座残高を見る度に、背筋が凍り、

胃のあたりに違和感を感じるような精神状態。

 

初の資金繰りの危機の体験です。

 

僕はこの時再婚し、3歳と0歳の息子がいました。

豪快に減り続ける口座残高を見た時、

保険金があったので、

真剣に死についても考えたことがあります。

 

 

しかしそんな時、いつも僕のことを

 

「おと~さんだ~い好き」

 

と言ってくれる3歳の息子の顔が

ぱっと頭に浮かび、ああ~あの笑顔を

守るにはどうすれば良いのだろう?

と勇気を振り絞って戦っていました。

 

この時期にもう1店閉店したのが

「焼肉まるじゅう」というお店です。

 

「オープンして5ヶ月でコロナ直撃!」でした

 

夜のみの営業でオープンして間もなく、

顧客リストも少ない状況から、なかなか

売り上げが改善できずに悩んでいました。

 

しかしその後まるじゅうは奇跡的に購入者が現れ、

売却金額は会社の負債額に充てる

運びとなったのです。

でも勢いに乗りかけていたし、

スタッフとの関係も凄く良好だったので、

悔しさしか残らない結末。

 

スタッフに、

「シフト付けれないから、他でバイト探しても良いですよ。」

 

と言ったとき、

「オーナーと働きたいです!」

と言ってくれた言葉。一生忘れられません。

 

「まあ~~~~ 心から しんどかったです」

 

この時期に解雇したスタッフは社員、

バイト含め18名。

資金面も非常につらかったですが、

やむ負えずとは言え、

解雇という選択しか出来ない自分の

ふがいなさに、情けない気持ちで

いっぱいでした。

 

夜いきなり目が覚めて、

動悸と息切れがして、そのまま朝を

迎えるなんて事も何度もありました。

 

コンサルという新たな道へ

 

「自分はなにをこれからしてけばいいのか?」

 

ここでまた大きな壁にぶち当たります

 

店舗はすでに手放している。

 

「待てよ!今苦しんでいる個人飲食店の

役に立つことが俺には出来るず!」

 

自らも職人だったからこそ、これからは

 

「コロナで苦しんでいる小規模飲食店の

サポートをしていこうと決意を固めたのです」

 

現在完全に手を離れている2店舗が、

何も変えずに、以前と変わらない売りがげを

出していることが、

コンサル事業に踏み出す大きな

引き金となったのです。

 

もともと自分のお店で一生職人として

料理を作るのではなく、

将来コンサルタント業を思っていたので、

少し早まりましたが、正に今がその時です!

 

よし!やっちゃるぞ!

 

まだまだ新しチャレンジは始まったばかりです。

しかし、これまでの苦難を考えれば、

いまこうして仕事があるだけでも幸せですし、

あなたと出会い、

あなたに必要な生の情報を

共有できることは、

個人店を経営してきた私にしかできない事。

 

個人店だからこそ実現したのが

 

「ファン集客」

 

という技術です。どんなにいい商品を作っても、

どんなにいいサービスを作っても、

お客様にファンになって頂かなくては、

5年10年とお店を続けることはできません。

 

ファンを育て、ファンと一緒に育っていく。

その流れを作っていき、

 

「日本中の飲食店を元気にする!」

 

今あなたが抱えている悩み、不安、が

ファン集客で解決できるのであれば、

僕は力になれます。

 

今の壁を解消し、常連様に囲まれて、心から楽しい安定した

経営を手に入れてください。

そしてその先にある、ラフワークバランスのとれた、

精神的にも安定した未来を一緒につかんでいきましょう!